2012年01月17日
医王寺と湧水公園周辺の散歩
今朝目が覚めたら雪降り、久しぶりに少し積もったけれども、日中は直ぐ融けてしまった。今日は坂を下って比奈にある医王寺と湧水公園周辺を散歩して見ました。

(久しぶりの雪景色)
医王寺は山院号を「龍水山国分院」と言い、奈良時代天平年間(729~749年)に行基開山と言い伝えられており、由緒ある古刹です。墓所には「風林火山」で有名な武田信玄公の軍師であった山本勘助の供養塔があり、70段の石段を上ったところには富士市有形文化財指定の木造薬師如来座像の安置される薬師堂、富士市指定天然記念物の「マキ」の大木があります。山門脇からはこんこんと湧水が流れ出ており、「湧水公園」として親しまれてもいます。

(医王寺山門)

(医王寺本堂)

(薬師堂への石段)

(富士市指定有形文化財、天然記念物の説明板)

(富士市指定有形文化財 木造薬師如来座像の安置される薬師堂)

(富士市指定天然記念物「マキ」の木)

(山本勘助顕彰碑と石像)

(湧水公園碑)

(湧水池)
医王寺は全国に同名の寺が幾つかあり、1575年(天正3年)武田騎馬軍団と織田・徳川連合軍鉄砲隊が激突したと言われる「長篠の合戦」において武田勝頼が本陣を置いた愛知県新城市(旧南設楽郡鳳来町)の医王寺が最も馴染み深いでしょう。
全国の医王寺の宗派は、概ね真言宗なのですが、富士市の医王寺は浄土宗です。寺の歴史を見ると、草創当初は真言宗だったのが、戦国時代永禄年間(1558~1570年)に真言宗から浄土宗に改宗したようです。
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(久しぶりの雪景色)
医王寺は山院号を「龍水山国分院」と言い、奈良時代天平年間(729~749年)に行基開山と言い伝えられており、由緒ある古刹です。墓所には「風林火山」で有名な武田信玄公の軍師であった山本勘助の供養塔があり、70段の石段を上ったところには富士市有形文化財指定の木造薬師如来座像の安置される薬師堂、富士市指定天然記念物の「マキ」の大木があります。山門脇からはこんこんと湧水が流れ出ており、「湧水公園」として親しまれてもいます。
(医王寺山門)
(医王寺本堂)
(薬師堂への石段)
(富士市指定有形文化財、天然記念物の説明板)
(富士市指定有形文化財 木造薬師如来座像の安置される薬師堂)
(富士市指定天然記念物「マキ」の木)
(山本勘助顕彰碑と石像)
(湧水公園碑)
(湧水池)
医王寺は全国に同名の寺が幾つかあり、1575年(天正3年)武田騎馬軍団と織田・徳川連合軍鉄砲隊が激突したと言われる「長篠の合戦」において武田勝頼が本陣を置いた愛知県新城市(旧南設楽郡鳳来町)の医王寺が最も馴染み深いでしょう。
全国の医王寺の宗派は、概ね真言宗なのですが、富士市の医王寺は浄土宗です。寺の歴史を見ると、草創当初は真言宗だったのが、戦国時代永禄年間(1558~1570年)に真言宗から浄土宗に改宗したようです。
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