2012年04月16日
御殿場市の「春耕道しるべ」(2)
前回の続きで、御殿場市の「春耕道しるべ」探索記です。
滝ケ原の「長井酒店前」No20と「佐藤洋服店横」No21の続きは同じく滝ケ原地区の「瀧ケ原不動尊」にあるNo23、24、25の3基です。元は別の場所にあったものを、ゴルフ場開発や、道路拡張工事等で移動せざるを得なくなり、春耕さんゆかりの瀧ケ原不動尊に移設したとのことです。

(春耕さんゆかりの「瀧ケ原不動尊」石碑)


(灯篭が「春耕燈」となっています)

(瀧ケ原不動尊の由来を彫った顕彰碑 春耕さんを顕彰しています)

(3基並んで建っている 字は薄くて読取りにくい)
左から一番大きいNo25、No23、No24となっています。

No25・・富士山頂へ三里三十一丁半 一里松へ二十一丁半 馬返へ一里十四丁 昼食場へ一里二十七丁半 太郎坊へ一里三十二丁 二合へ二里十二丁半 二合二勺へ二里二十二丁 二合五勺へ二里二十六丁 三合へ二里三十三丁半 四合へ三里二丁半 五合へ三里九丁 六合へ三里十四丁半 七合へ三里十八丁 七合五勺へ三里二十一丁 八合へ三里二十八丁半 九合へ三里三十丁
No25は「富士山里程の道しるべ」と言われている様です。又、裏面には春耕さんが「道しるべと瀧ケ原不動尊」を建立するに至った趣旨を刻んでいます。

No23・・右だんごう 左十りぎ

No24・・左指差し←すばしり
瀧ケ原不動尊のお祭りは毎年4月末に地元の人達と、仁藤家の春耕さんゆかりの人達で行われているとのことなので、もう直ぐ行われることでしょう。
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滝ケ原の「長井酒店前」No20と「佐藤洋服店横」No21の続きは同じく滝ケ原地区の「瀧ケ原不動尊」にあるNo23、24、25の3基です。元は別の場所にあったものを、ゴルフ場開発や、道路拡張工事等で移動せざるを得なくなり、春耕さんゆかりの瀧ケ原不動尊に移設したとのことです。
(春耕さんゆかりの「瀧ケ原不動尊」石碑)
(灯篭が「春耕燈」となっています)
(瀧ケ原不動尊の由来を彫った顕彰碑 春耕さんを顕彰しています)
(3基並んで建っている 字は薄くて読取りにくい)
左から一番大きいNo25、No23、No24となっています。
No25・・富士山頂へ三里三十一丁半 一里松へ二十一丁半 馬返へ一里十四丁 昼食場へ一里二十七丁半 太郎坊へ一里三十二丁 二合へ二里十二丁半 二合二勺へ二里二十二丁 二合五勺へ二里二十六丁 三合へ二里三十三丁半 四合へ三里二丁半 五合へ三里九丁 六合へ三里十四丁半 七合へ三里十八丁 七合五勺へ三里二十一丁 八合へ三里二十八丁半 九合へ三里三十丁
No25は「富士山里程の道しるべ」と言われている様です。又、裏面には春耕さんが「道しるべと瀧ケ原不動尊」を建立するに至った趣旨を刻んでいます。
No23・・右だんごう 左十りぎ
No24・・左指差し←すばしり
瀧ケ原不動尊のお祭りは毎年4月末に地元の人達と、仁藤家の春耕さんゆかりの人達で行われているとのことなので、もう直ぐ行われることでしょう。
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2012年04月15日
御殿場市の「春耕道しるべ」
富士市内にある38基(裾野市の忠ちゃん牧場も含む)は確認済みでしたが、残る裾野市(須山)と御殿場市(印野、滝ケ原、水土野上)の14基の探索確認を始めました。土地勘のない場所なので、先ず裾野市須山の第46号が判り易いのではないかと思い行って見ましたが、「春耕道しるべ」の本に書かれていた、須山交差点の須山食堂前には見当たらず、今回は断念しました。
続いて御殿場市立印野小学校内の郷土資料館・記念館前にあると言われる4基を探しに行きました。最近休日の学校内には入れないところが多いですが、幸い、郷土資料館の場所には入ることが出来て4基と対面し感激でした。





(印野小学校内郷土資料館・記念館前にある「春耕道しるべ」
左からNo49、No52、No50、No51となります。

No49・・右やまみち、左十りぎみち

No52・・右いんのみち

No50・・右いたづまみち、左いんのみち

No51・・右指差し→ぐんないみち、をぎわらへ
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続いて御殿場市立印野小学校内の郷土資料館・記念館前にあると言われる4基を探しに行きました。最近休日の学校内には入れないところが多いですが、幸い、郷土資料館の場所には入ることが出来て4基と対面し感激でした。
(印野小学校内郷土資料館・記念館前にある「春耕道しるべ」
左からNo49、No52、No50、No51となります。
No49・・右やまみち、左十りぎみち
No52・・右いんのみち
No50・・右いたづまみち、左いんのみち
No51・・右指差し→ぐんないみち、をぎわらへ
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2012年02月22日
再び富士岡・宗玄沢・花川戸ウォーク(春耕道しるべ)
今日は再び「春耕道しるべ」第六号→第五号(花川戸)→第二号の元あった場所(富士岡)→第三号(富士岡橋)→第四号(宗玄沢)→第三十六号(宗玄沢)→第五号(花川戸)へ戻りのコースを巡って見ました。
春耕さんは第六号として富士山の形をした石を選んでいます。

(春耕道しるべ第六号:背後に古い道と思しきものがあります。)
今日はそれを確かめて見たのですが、確かに古い道が背後にありました。

(リズム保育園入口近くに古い道があります。)

(これが古い道で第六号の背後に出る)

(背後から見た第六号)
次に花川戸入口にある第五号に一応挨拶して行きます。

その次は広見公園に移設されている第二号の元あった場所付近を探して見ます。

(根方街道赤渕川橋約50m西側「和菓子製造・スーパーいとう屋さん前」と言うことでこの辺り)
いとう屋さん向いの友田写真館さんの看板のある分岐路を富士岡橋方向に行きます。

(赤渕川橋側から見た根方街道、友田写真館看板真下辺りが第二号の元あった場所。分岐路を右折すると富士岡橋方向。)
200m程行くと富士岡橋があり、その西側たもとに第三号があります。

(富士岡橋)

(第三号にも一応挨拶します。) 続きを読む
春耕さんは第六号として富士山の形をした石を選んでいます。
(春耕道しるべ第六号:背後に古い道と思しきものがあります。)
今日はそれを確かめて見たのですが、確かに古い道が背後にありました。
(リズム保育園入口近くに古い道があります。)
(これが古い道で第六号の背後に出る)
(背後から見た第六号)
次に花川戸入口にある第五号に一応挨拶して行きます。
その次は広見公園に移設されている第二号の元あった場所付近を探して見ます。
(根方街道赤渕川橋約50m西側「和菓子製造・スーパーいとう屋さん前」と言うことでこの辺り)
いとう屋さん向いの友田写真館さんの看板のある分岐路を富士岡橋方向に行きます。
(赤渕川橋側から見た根方街道、友田写真館看板真下辺りが第二号の元あった場所。分岐路を右折すると富士岡橋方向。)
200m程行くと富士岡橋があり、その西側たもとに第三号があります。
(富士岡橋)
(第三号にも一応挨拶します。) 続きを読む
2012年02月12日
風景に溶け込む「春耕道しるべ」(3)
今日は以前紹介した「春耕道しるべ」の陽光台、桑崎地区における13号、14号、43号、15号、44号の風景に溶け込んだ姿を紹介します。鵜無ケ淵→石井橋→桑崎→千束→陽光台と巡りました。

(自販機と消火器箱に挟まれた「第13号」、ちょっと窮屈そうです。)

(「春耕道しるべ第14号」、今日は富士山は曇っていて見えません。)

(桑崎旧道にある第43号)

(正面の道を真っ直ぐ行くと昔ながらの旧道に入ります)

(昔春耕さんも歩いたと思われる桑崎旧道)
千束川の「御所舟橋」を渡って桑崎新道から桑崎善光寺方向に戻ります。千束川の桑崎集落近くには砂防堰堤が2箇所あります。


(上流側の堰堤には大量の流木等が引っ掛かっていますが、下流側はきれいです。)
桑崎善光寺参道に第15号があります。


桑崎地域の奥側から陽光台東町に通じる新しい道路ができ、500m位で陽光台東町に着きます。石井橋方面にかなり下って第44号のある旧道を見つけます。

(民家の裏庭かと間違えそうな旧道)

(第44号とその前に続く旧道、石井橋の方向)

(行き止まりの遊園地側から見た第44号)
帰り道で高圧鉄塔の下に立つ第30号のシルエット

(自販機と消火器箱に挟まれた「第13号」、ちょっと窮屈そうです。)
(「春耕道しるべ第14号」、今日は富士山は曇っていて見えません。)
(桑崎旧道にある第43号)
(正面の道を真っ直ぐ行くと昔ながらの旧道に入ります)
(昔春耕さんも歩いたと思われる桑崎旧道)
千束川の「御所舟橋」を渡って桑崎新道から桑崎善光寺方向に戻ります。千束川の桑崎集落近くには砂防堰堤が2箇所あります。
(上流側の堰堤には大量の流木等が引っ掛かっていますが、下流側はきれいです。)
桑崎善光寺参道に第15号があります。
桑崎地域の奥側から陽光台東町に通じる新しい道路ができ、500m位で陽光台東町に着きます。石井橋方面にかなり下って第44号のある旧道を見つけます。
(民家の裏庭かと間違えそうな旧道)
(第44号とその前に続く旧道、石井橋の方向)
(行き止まりの遊園地側から見た第44号)
帰り道で高圧鉄塔の下に立つ第30号のシルエット
2012年02月11日
風景に溶け込む「春耕道しるべ」(2)
今日は別のルートをウォーキングします。
基点はやはり吉原北中東南の第10号からですが、今度は間門方向に新東名の巨大な橋脚の下に出ます。

(間門付近の巨大な新東名橋脚です)
以前、車にぶつけられて折れて倒れていた「富士市教育委員会」さんの「道しるべ番号表示塔第7号」がちゃんと復元されていました。 「よかった、よかった・・!」

(完全に復元された表示塔と春耕道しるべ第7号:写真中央)
100mほど鵜無ケ淵方向に行くと間門地区入口角に「タバコ」や「酒」、「クロネコヤマト」等の看板、「郵便ポスト」、「公衆電話」等のある店があります。そこに第8号が見えます。

(緑の公衆電話の横に春耕道しるべ第8号です)
角を右に曲がって間門浅間神社入口に第9号が見えます。


(間門浅間神社前にある春耕道しるべ第9号)
今日は鵜無ケ淵→親子台→陽光台南町→石井→桑崎に出て見るつもりで、間門浅間神社右の道を上ります。
「巌谷小波」さんの句碑をを眺め、「猿棚の滝」にちょっと下りて見ます。先日の大雨で少しは水が落ちているか・・。

(巌谷小波さんの句碑遠景)

(「猿棚の滝」下り口表示塔)

(こんな凄い道)

(滝壷まで行ったが水は落ちていなかった)
又、凄い道を戻って鵜無ケ淵→親子台→陽光台南町→石井に出ます。ここで大きな間違い、桑崎に行くつもりが、「石井林道」に入ったため、行けども行けども桑崎には出ずに、とうとう峠道に出てしまいました。(この間約4km位か?)

(左に行くと「石井林道」基点の表示:帰りに撮影) 続きを読む
基点はやはり吉原北中東南の第10号からですが、今度は間門方向に新東名の巨大な橋脚の下に出ます。
(間門付近の巨大な新東名橋脚です)
以前、車にぶつけられて折れて倒れていた「富士市教育委員会」さんの「道しるべ番号表示塔第7号」がちゃんと復元されていました。 「よかった、よかった・・!」
(完全に復元された表示塔と春耕道しるべ第7号:写真中央)
100mほど鵜無ケ淵方向に行くと間門地区入口角に「タバコ」や「酒」、「クロネコヤマト」等の看板、「郵便ポスト」、「公衆電話」等のある店があります。そこに第8号が見えます。
(緑の公衆電話の横に春耕道しるべ第8号です)
角を右に曲がって間門浅間神社入口に第9号が見えます。
(間門浅間神社前にある春耕道しるべ第9号)
今日は鵜無ケ淵→親子台→陽光台南町→石井→桑崎に出て見るつもりで、間門浅間神社右の道を上ります。
「巌谷小波」さんの句碑をを眺め、「猿棚の滝」にちょっと下りて見ます。先日の大雨で少しは水が落ちているか・・。
(巌谷小波さんの句碑遠景)
(「猿棚の滝」下り口表示塔)
(こんな凄い道)
(滝壷まで行ったが水は落ちていなかった)
又、凄い道を戻って鵜無ケ淵→親子台→陽光台南町→石井に出ます。ここで大きな間違い、桑崎に行くつもりが、「石井林道」に入ったため、行けども行けども桑崎には出ずに、とうとう峠道に出てしまいました。(この間約4km位か?)
(左に行くと「石井林道」基点の表示:帰りに撮影) 続きを読む