2011年12月25日
「忠ちゃん牧場」で上がり「春耕道しるべ(8)」
「春耕道しるべ」の探索は「忠ちゃん牧場」でひとまず「上がり」となりそうです。
前回以降、No1、No43、No17、そしてNoなし(忠ちゃん牧場)、の4基を確認しました。
①春耕道しるべNo1
これは「春耕道しるべ」のスタート地点であり、数々のブログで紹介されてはいますが、やはりここで紹介します。場所は田中新田の旧国道1号線沿いにあります。又、脇の細い道を入って行くと、「JR東海道本線の田中踏切り」があります。


(正面) 絵と歌が書いてあります。
「富士沼能景色見渡す愛鷹の 山の木可げにこまぞ勇める」

(右側面)
「須津村役場1里 吉永村役場31丁」
②春耕道しるべNo43 (桑崎)
桑崎橋を渡らずに左の坂道を上がって行き、「桑崎善光寺」の千束川の対岸方向に出るとそこにありました。以前(1987年当時)はNo41となっていたようですが、現在はNo41は鵜無ケ淵橋横にあり、この道しるべはNo43となっています。


(左上が欠けており、右側の文字も欠損しています。)
「右よしわらみち 左ふじをか」
③春耕道しるべNo17 (勢子辻)
国道469号線沿いに勢子辻の集落を抜けて富士山こどもの国方面に約500m位歩くと右側に「山神社」があり、その鳥居の近くにありました。


(「山神社」の鳥居)

(こんな感じで「富士サファリ」の看板が目立ちます)
前回以降、No1、No43、No17、そしてNoなし(忠ちゃん牧場)、の4基を確認しました。
①春耕道しるべNo1
これは「春耕道しるべ」のスタート地点であり、数々のブログで紹介されてはいますが、やはりここで紹介します。場所は田中新田の旧国道1号線沿いにあります。又、脇の細い道を入って行くと、「JR東海道本線の田中踏切り」があります。
(正面) 絵と歌が書いてあります。
「富士沼能景色見渡す愛鷹の 山の木可げにこまぞ勇める」
(右側面)
「須津村役場1里 吉永村役場31丁」
②春耕道しるべNo43 (桑崎)
桑崎橋を渡らずに左の坂道を上がって行き、「桑崎善光寺」の千束川の対岸方向に出るとそこにありました。以前(1987年当時)はNo41となっていたようですが、現在はNo41は鵜無ケ淵橋横にあり、この道しるべはNo43となっています。
(左上が欠けており、右側の文字も欠損しています。)
「右よしわらみち 左ふじをか」
③春耕道しるべNo17 (勢子辻)
国道469号線沿いに勢子辻の集落を抜けて富士山こどもの国方面に約500m位歩くと右側に「山神社」があり、その鳥居の近くにありました。
(「山神社」の鳥居)
(こんな感じで「富士サファリ」の看板が目立ちます)
最後は「忠ちゃん牧場」入口です。ここは裾野市であり、見慣れた富士市教育委員会さんの道標番号表示塔はありません。
④春耕道しるべ(番号を付けるとすればNo18)

「右すやまへ 18丁(≒1.9km)」
「左いのへ 1り15丁(≒5.5km) をぎはらへ 2り4丁(≒8.2km) すばしりへ 4り2丁(≒15.8km)」

(「裾野市文化財遺産 仁藤春耕」の表示塔)
裏面にも何か書いてありますが、薄れてしまってよく読み取れません。

「日露戦争付直道ニ進ムト云事ヲ聞キ・・読み取り不可・・
明治39年富士郡吉永村富士岡下花守 仁藤春耕」となっています。
春耕さんはここから裾野・御殿場方面に進んでいったのでしょう。御殿場市立印野小学校記念館の入口には「春耕道しるべ」が4基建てられているとのこと。いつか訪ねて見たいと思います。
今回の4基探索は、徒歩で行ったり、近くまで車で行って探し歩いたりしています。
文献記録上存在するはずの「春耕道しるべ」はあとNo4、No36の2基だけですが、今後更に探索は続けたいと思っています。私が実際確認出来たのは
No1,2,3,5,6,7,8,9,10,11,12,13,14,15,16,17,(18),
26,27,28,29,30,31,32,33,34,37,38,39,40,41,42,43,45,
の計34基です。
探し当てたらまた紹介することにして、とりあえず「春耕道しるべ探索双六」は「上がり」とします。
④春耕道しるべ(番号を付けるとすればNo18)
「右すやまへ 18丁(≒1.9km)」
「左いのへ 1り15丁(≒5.5km) をぎはらへ 2り4丁(≒8.2km) すばしりへ 4り2丁(≒15.8km)」
(「裾野市文化財遺産 仁藤春耕」の表示塔)
裏面にも何か書いてありますが、薄れてしまってよく読み取れません。
「日露戦争付直道ニ進ムト云事ヲ聞キ・・読み取り不可・・
明治39年富士郡吉永村富士岡下花守 仁藤春耕」となっています。
春耕さんはここから裾野・御殿場方面に進んでいったのでしょう。御殿場市立印野小学校記念館の入口には「春耕道しるべ」が4基建てられているとのこと。いつか訪ねて見たいと思います。
今回の4基探索は、徒歩で行ったり、近くまで車で行って探し歩いたりしています。
文献記録上存在するはずの「春耕道しるべ」はあとNo4、No36の2基だけですが、今後更に探索は続けたいと思っています。私が実際確認出来たのは
No1,2,3,5,6,7,8,9,10,11,12,13,14,15,16,17,(18),
26,27,28,29,30,31,32,33,34,37,38,39,40,41,42,43,45,
の計34基です。
探し当てたらまた紹介することにして、とりあえず「春耕道しるべ探索双六」は「上がり」とします。
Posted by 富士三合目 at 03:06│Comments(2)
│春耕道しるべ
この記事へのコメント
今晩は、春耕さんの道しるべ34基の探索は大変だったと思います。
特に春耕道しるべ(6)での20㎞に及ぶ探索は凄いです。
特に春耕道しるべ(6)での20㎞に及ぶ探索は凄いです。
Posted by タケちゃん
at 2011年12月25日 20:57

タケちゃん さん
コメント有難うございます。
「春耕道しるべ」を探索して歩きながら、改めて春耕さんのご苦労と決意(執念とも言える)の程をほんの少し垣間見ることが出来た様な気がします。
「坂の上の雲」に出て来るような明治の人達の気骨を「道しるべ」一つ一つに感じます。又、あの頃の「鵜無ケ淵みち」、「桑崎みち」、「十里木みち」等はどんなだったのだろうと想像しながら歩く楽しみも味わうことが出来ました。
何回も同じ集落を歩き回って、もしかしたら怪しまれていたかも知れません。
コメント有難うございます。
「春耕道しるべ」を探索して歩きながら、改めて春耕さんのご苦労と決意(執念とも言える)の程をほんの少し垣間見ることが出来た様な気がします。
「坂の上の雲」に出て来るような明治の人達の気骨を「道しるべ」一つ一つに感じます。又、あの頃の「鵜無ケ淵みち」、「桑崎みち」、「十里木みち」等はどんなだったのだろうと想像しながら歩く楽しみも味わうことが出来ました。
何回も同じ集落を歩き回って、もしかしたら怪しまれていたかも知れません。
Posted by 富士三合目 at 2011年12月25日 22:48