2011年05月03日
ちょっとブレイク(3)(アパッチ砦)
今日もまたまた西部劇 
「アパッチ砦」は激安スーパーチェーンの名前ではなく、遠い昔の西部劇の題名です。
ジョン・フォード監督(1948年作品)、ジョン・ウェイン、ヘンリー・フォンダ、ジョージ・オブライエン、ジョン・イーガー、ワード・ボンド、シャーリー・テンプル・・出演)
この映画はジョン・フォード監督の有名な騎兵隊三部作の第1作目ですが、紹介は最後になりました。と言うのは、私の個人的好みから来ており、他意はありません。


「アパッチ砦」は激安スーパーチェーンの名前ではなく、遠い昔の西部劇の題名です。
ジョン・フォード監督(1948年作品)、ジョン・ウェイン、ヘンリー・フォンダ、ジョージ・オブライエン、ジョン・イーガー、ワード・ボンド、シャーリー・テンプル・・出演)
この映画はジョン・フォード監督の有名な騎兵隊三部作の第1作目ですが、紹介は最後になりました。と言うのは、私の個人的好みから来ており、他意はありません。

米国北軍の将軍だった人(ヘンリー・フォンダ)が何かの理由で降格して大佐となり、辺境の先住民(インディアン)との戦いに明け暮れる砦の司令官として娘(シャーリー・テンプル)を伴って赴任して来た。砦には現地情勢に詳しい歴戦の騎兵隊員がおり、その(中)隊長がジョン・ウェイン(大尉)であった。司令官は隊規(規律)に厳格で、乱れた服装やだらけた行動は許さず、厳しい訓練を課す。この人、目覚しい手柄を立てて、早くまた将軍に返り咲きたいと願っている。
一方現地で厳しい戦いを続けて来た(中)隊長は武力のみではなく、話し合いで解決する道も探っていたが、司令官が戦い第一主義のため、激しく対立する。結局、(中)隊長は司令官の命令で指揮権を剥奪されて後方待機させられている間に、司令官自ら指揮を執って先住民(インディアン)との戦に出撃し、部隊は全滅させられてしまう。
大筋のところはこうであるが、その他エピソードとして、現地のたたき上げ軍曹(ワード・ボンド)の息子(ジョン・イーガー)が陸軍士官学校を出て、将校(中尉)として戻って来る。自分の上官となる訳であるが、息子の出世を心から喜んでいる。しかし、司令官率いる戦闘に従軍して戦死することになる。その他、辺境生活に嫌気がさして、配置転換願いを出し、ひたすらその日を待っている大尉(ジョージ・オブライエン)、結局この人も配置転換が認められた頃に戦闘に従軍して戦死してしまう。最後に新司令官になった(中)隊長(ジョン・ウェイン)は、元司令官は立派な指揮官であったと後日新聞記者に回想する。尚、映画の中で「一日50セントでこの辺境の任務を遂行した彼らの歩んだ道が、アメリカ合衆国となった」とのナレーションが流れる。
どんな世の中でも規律と権威を振りかざし、自身の出世欲のために、周りの部下達を犠牲にする上官はいるものである。又、現地情勢を良く鑑みずにマニュアル通りに事を運ぼうとして失敗する者もいる。あるいは、自身はたたき上げでも、息子には一流学校を出てエリートになって欲しいと心から願う親がいる。更には、自分の願いが叶えられたと思った矢先に運命のいたずらに出会って落命してしまう人もいる。人の評価は時が経てば変わることもあるetc。これらはいつの世にも当てはまる人間の営みの、ある意味悲しい一面でありましょう。
この映画は、ジョン・フォード監督が1946年に作成した、あの詩情豊かなヘンリー・フォンダ主演の「荒野の決闘(いとしのクレメンタイン)」に続く西部劇ではありますが、やや雰囲気の異なる作品であり、私は大好きという訳には行きません。これは個人的な好みです。
アメリカ映画でいつも感心させられることがあります。軍隊等では上官の命令は絶対服従のはずですが、反対意見を言って受け入れられない時は「意見書」を提出する制度がある様ですね。「自分はあの命令に反対であったが、上官の命令によって遂行した」、と言う証拠記録を残す訳です。「命令を出した責任の所在を明確にする。」「事の評価は歴史が行う。」と言う様な考え方に基付いているのでしょうか。
では又。サヨウナラ
一方現地で厳しい戦いを続けて来た(中)隊長は武力のみではなく、話し合いで解決する道も探っていたが、司令官が戦い第一主義のため、激しく対立する。結局、(中)隊長は司令官の命令で指揮権を剥奪されて後方待機させられている間に、司令官自ら指揮を執って先住民(インディアン)との戦に出撃し、部隊は全滅させられてしまう。
大筋のところはこうであるが、その他エピソードとして、現地のたたき上げ軍曹(ワード・ボンド)の息子(ジョン・イーガー)が陸軍士官学校を出て、将校(中尉)として戻って来る。自分の上官となる訳であるが、息子の出世を心から喜んでいる。しかし、司令官率いる戦闘に従軍して戦死することになる。その他、辺境生活に嫌気がさして、配置転換願いを出し、ひたすらその日を待っている大尉(ジョージ・オブライエン)、結局この人も配置転換が認められた頃に戦闘に従軍して戦死してしまう。最後に新司令官になった(中)隊長(ジョン・ウェイン)は、元司令官は立派な指揮官であったと後日新聞記者に回想する。尚、映画の中で「一日50セントでこの辺境の任務を遂行した彼らの歩んだ道が、アメリカ合衆国となった」とのナレーションが流れる。
どんな世の中でも規律と権威を振りかざし、自身の出世欲のために、周りの部下達を犠牲にする上官はいるものである。又、現地情勢を良く鑑みずにマニュアル通りに事を運ぼうとして失敗する者もいる。あるいは、自身はたたき上げでも、息子には一流学校を出てエリートになって欲しいと心から願う親がいる。更には、自分の願いが叶えられたと思った矢先に運命のいたずらに出会って落命してしまう人もいる。人の評価は時が経てば変わることもあるetc。これらはいつの世にも当てはまる人間の営みの、ある意味悲しい一面でありましょう。
この映画は、ジョン・フォード監督が1946年に作成した、あの詩情豊かなヘンリー・フォンダ主演の「荒野の決闘(いとしのクレメンタイン)」に続く西部劇ではありますが、やや雰囲気の異なる作品であり、私は大好きという訳には行きません。これは個人的な好みです。
アメリカ映画でいつも感心させられることがあります。軍隊等では上官の命令は絶対服従のはずですが、反対意見を言って受け入れられない時は「意見書」を提出する制度がある様ですね。「自分はあの命令に反対であったが、上官の命令によって遂行した」、と言う証拠記録を残す訳です。「命令を出した責任の所在を明確にする。」「事の評価は歴史が行う。」と言う様な考え方に基付いているのでしょうか。
では又。サヨウナラ

Posted by 富士三合目 at 12:35│Comments(0)
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