2011年12月31日
やっと見付かった宗玄沢「春耕道しるべ(9)」
無闇に歩きまわっても見付かりそうもないので、富士市教育委員会さんに問合せし、現在判明している凡そのあり場所を教えて頂いた。No4、35、36、44が富士市内に現存するらしく、地図上の場所が大体確認出来たので、先ず、No4,No36の探索に出掛けました。尚、No19~25は御殿場市にあるらしく、これは新年明けての楽しみとなりました。
道を間違えないよう、No3(富士岡橋)まで下って、そこを基点にして宗玄沢の上流茶畑の方角に上って行くと、約1.5km位で宗玄沢雨水調整池があり、その交差路にNo4がありました。No1~18でこのNo4だけ抜けていてやっと見付かり感激です。自分が予想していたよりもかなり上の方でした。

(宗玄沢雨水調整池の看板)

(堰堤と調整池がきれいに出来ており、公園のような感じ)

(念願の「春耕道しるべNo4」 後方に新東名が見える)

「右やまみち 左そうげんさわ」

(「道標番号表示塔」裏側:「富士市教育委員会」の表示)
次にNo36が新東名を越えた向こうにあるとのことで行って見ました。
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道を間違えないよう、No3(富士岡橋)まで下って、そこを基点にして宗玄沢の上流茶畑の方角に上って行くと、約1.5km位で宗玄沢雨水調整池があり、その交差路にNo4がありました。No1~18でこのNo4だけ抜けていてやっと見付かり感激です。自分が予想していたよりもかなり上の方でした。
(宗玄沢雨水調整池の看板)
(堰堤と調整池がきれいに出来ており、公園のような感じ)
(念願の「春耕道しるべNo4」 後方に新東名が見える)
「右やまみち 左そうげんさわ」
(「道標番号表示塔」裏側:「富士市教育委員会」の表示)
次にNo36が新東名を越えた向こうにあるとのことで行って見ました。
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2011年12月25日
「忠ちゃん牧場」で上がり「春耕道しるべ(8)」
「春耕道しるべ」の探索は「忠ちゃん牧場」でひとまず「上がり」となりそうです。
前回以降、No1、No43、No17、そしてNoなし(忠ちゃん牧場)、の4基を確認しました。
①春耕道しるべNo1
これは「春耕道しるべ」のスタート地点であり、数々のブログで紹介されてはいますが、やはりここで紹介します。場所は田中新田の旧国道1号線沿いにあります。又、脇の細い道を入って行くと、「JR東海道本線の田中踏切り」があります。


(正面) 絵と歌が書いてあります。
「富士沼能景色見渡す愛鷹の 山の木可げにこまぞ勇める」

(右側面)
「須津村役場1里 吉永村役場31丁」
②春耕道しるべNo43 (桑崎)
桑崎橋を渡らずに左の坂道を上がって行き、「桑崎善光寺」の千束川の対岸方向に出るとそこにありました。以前(1987年当時)はNo41となっていたようですが、現在はNo41は鵜無ケ淵橋横にあり、この道しるべはNo43となっています。


(左上が欠けており、右側の文字も欠損しています。)
「右よしわらみち 左ふじをか」
③春耕道しるべNo17 (勢子辻)
国道469号線沿いに勢子辻の集落を抜けて富士山こどもの国方面に約500m位歩くと右側に「山神社」があり、その鳥居の近くにありました。


(「山神社」の鳥居)

(こんな感じで「富士サファリ」の看板が目立ちます) 続きを読む
前回以降、No1、No43、No17、そしてNoなし(忠ちゃん牧場)、の4基を確認しました。
①春耕道しるべNo1
これは「春耕道しるべ」のスタート地点であり、数々のブログで紹介されてはいますが、やはりここで紹介します。場所は田中新田の旧国道1号線沿いにあります。又、脇の細い道を入って行くと、「JR東海道本線の田中踏切り」があります。
(正面) 絵と歌が書いてあります。
「富士沼能景色見渡す愛鷹の 山の木可げにこまぞ勇める」
(右側面)
「須津村役場1里 吉永村役場31丁」
②春耕道しるべNo43 (桑崎)
桑崎橋を渡らずに左の坂道を上がって行き、「桑崎善光寺」の千束川の対岸方向に出るとそこにありました。以前(1987年当時)はNo41となっていたようですが、現在はNo41は鵜無ケ淵橋横にあり、この道しるべはNo43となっています。
(左上が欠けており、右側の文字も欠損しています。)
「右よしわらみち 左ふじをか」
③春耕道しるべNo17 (勢子辻)
国道469号線沿いに勢子辻の集落を抜けて富士山こどもの国方面に約500m位歩くと右側に「山神社」があり、その鳥居の近くにありました。
(「山神社」の鳥居)
(こんな感じで「富士サファリ」の看板が目立ちます) 続きを読む
2011年12月21日
謎解き「春耕道しるべ(7)」
「春耕道しるべ」の探索もいよいよ「謎解き」の世界に入ってきました。
富士市立博物館の庭に「春耕道しるべ」が4基あるとの情報を得て、早速行って見ました。確かに4基ありましたが、富士市教育委員会さんが立てていた「道標番号表示塔」がないので、どれが何番か判りません。もともと春耕さんは道しるべに番号は付けていなかったようで、市教育委員会さんがどこかの時点で番号を付けて、番号表示塔を立てたものと思われます。

(富士市立博物館の庭:「春耕道しるべ」が4基立っています)

(すぐそばに立っていた説明板で、No2、26、28、40、だと書いてあります)
この内一番大きなものは富士岡3の「石原木材店」さん脇にあったとの説明が市立博物館のHPに記載されており、一方、「(有)仁藤石材工業」さんのHPの「春耕道しるべアルバム」の写真でNo2となっています。

(春耕道しるべNo2)
(正面)
「十里木道(じゃうりぎみち) まかど がうど 13丁≒1.4km」
「うないがふちみち いまみや 30丁≒3.2km」
「いしゐ そうげんさわ 13丁≒1.4km」
「くわざき(1り半≒5.8km) せこつじ(2り35丁≒11.8km)」
(左側面)
「明治39年 駿東郡原里村 いんの(5り半≒22km) をぎわら(6り7丁≒24km)
(右側面)
「吉永村富士岡」
(裏面)
「下花守 仁藤春耕」 続きを読む
富士市立博物館の庭に「春耕道しるべ」が4基あるとの情報を得て、早速行って見ました。確かに4基ありましたが、富士市教育委員会さんが立てていた「道標番号表示塔」がないので、どれが何番か判りません。もともと春耕さんは道しるべに番号は付けていなかったようで、市教育委員会さんがどこかの時点で番号を付けて、番号表示塔を立てたものと思われます。
(富士市立博物館の庭:「春耕道しるべ」が4基立っています)
(すぐそばに立っていた説明板で、No2、26、28、40、だと書いてあります)
この内一番大きなものは富士岡3の「石原木材店」さん脇にあったとの説明が市立博物館のHPに記載されており、一方、「(有)仁藤石材工業」さんのHPの「春耕道しるべアルバム」の写真でNo2となっています。
(春耕道しるべNo2)
(正面)
「十里木道(じゃうりぎみち) まかど がうど 13丁≒1.4km」
「うないがふちみち いまみや 30丁≒3.2km」
「いしゐ そうげんさわ 13丁≒1.4km」
「くわざき(1り半≒5.8km) せこつじ(2り35丁≒11.8km)」
(左側面)
「明治39年 駿東郡原里村 いんの(5り半≒22km) をぎわら(6り7丁≒24km)
(右側面)
「吉永村富士岡」
(裏面)
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2011年12月14日
勢子辻まで探して歩き「春耕道しるべ(6)」
今回は桑崎から勢子辻までと勢子辻から今宮までの往復約20kmを探索して見ました。最初は県道24号線まで出たら戻って来る積りでいたのが、収穫ゼロだったので、ついつい足が伸びてしまいました。
先ず桑崎まで真っ直ぐ行き、桑崎善光寺をお参りしました。

(桑崎善光寺の説明板で今年4月に設置されています)

(お寺と言うよりお堂で、当初赤渕川沿いにあったのを移築されたとのこと)

(桑崎善光寺の直ぐ上に立派な砂防ダムがあります)
途中で産廃最終処分場を経て千束川を渡り、さらに山道を上って行くと「馬頭観音」があります。


(この馬頭観音は険しい山道で倒れた馬達を供養するために建てられたらしく、当時は物流等で馬が重要な役割を担い、又大切にされていたことが伺えます。)
こんな感じの山道を更に上ります。

「黒坂の滝」の入口表示板、風雨に曝されてかなり傷んでいます。

漸く森の出口が見えて来ました。

県道24号線に出てここまで収穫ゼロ、このままでは戻り難く、更に勢子辻を目指します。

漸く国道469号線との分岐点表示が見えて来ました。もうひと踏ん張り。

国道469号線との分岐点に到着。しかしそれらしい道しるべは見当たりません。疲れがどっと出ました、

(右:県道24号線 左:国道469号線(昔の十里木道))
しかし、考えて見ると、この分岐点は比較的新しいもので、もう少し上に勢子辻地区があるのでそこまで行って見ることにしました。

(旧十里木道の分岐点がありましたが、現在は通行止になっています。)
何と、その右脇に公園みたいなところがあり、春耕道しるべの表示塔が見え、疲れが一気に吹き飛びました。しかも2基並んでいるようです。(写真中央付近)

①春耕道しるべNo16です。


(右よしわらみち(三り廿一丁) 左てえしゃば(三り廿五丁))
これはどこか別の場所にあったものを移設したような感じもします。
②春耕道しるべNo39です。


(右をうぶちみち 左よしわらみち)

(このようにNo16とNo39が2基並んで建っています)
No16は桑崎にあったNo15の続きで、No39は吉永第二小から今宮方面に上ったところにあったNo38の続きとなり、その間は何も無いと言う事かもしれません。
③今度は国道469号線の新分岐点を富士宮方面(→南富士CC1k)に曲がり300m程下った所にNo45がありました。これは自転車旅行をする人たちのブログにも度々書かれていて、大体の位置は把握していました。


(仁藤春耕道しるべNo45:富士宮方面を見て道路の左側にあります)

(左側面:右大みやみち 左大ぶちみち)

(右側面:左やまみち)

(正面:楷書で下記長文が刻まれています。)
「本道ハ本郡報徳講社ノ開修ニ係ル交通ノ便何ゾ言フヲ俟タンヤ 然ルニ来往ノ繁カラザル岐路ニ迷フ者ナキ能ハズ 因テ茲ニ路導石ヲ建ツト云」

(裏面:春耕さん氏名が彫られています)
「明治三十九年吉永村富士岡下花守 仁藤春耕」
この道しるべは今までのものとはちょっと違った「記念碑」のような感じがします。

(道しるべから県道24号線との分岐点方向を見ています)
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先ず桑崎まで真っ直ぐ行き、桑崎善光寺をお参りしました。
(桑崎善光寺の説明板で今年4月に設置されています)
(お寺と言うよりお堂で、当初赤渕川沿いにあったのを移築されたとのこと)
(桑崎善光寺の直ぐ上に立派な砂防ダムがあります)
途中で産廃最終処分場を経て千束川を渡り、さらに山道を上って行くと「馬頭観音」があります。
(この馬頭観音は険しい山道で倒れた馬達を供養するために建てられたらしく、当時は物流等で馬が重要な役割を担い、又大切にされていたことが伺えます。)
こんな感じの山道を更に上ります。
「黒坂の滝」の入口表示板、風雨に曝されてかなり傷んでいます。
漸く森の出口が見えて来ました。
県道24号線に出てここまで収穫ゼロ、このままでは戻り難く、更に勢子辻を目指します。
漸く国道469号線との分岐点表示が見えて来ました。もうひと踏ん張り。
国道469号線との分岐点に到着。しかしそれらしい道しるべは見当たりません。疲れがどっと出ました、
(右:県道24号線 左:国道469号線(昔の十里木道))
しかし、考えて見ると、この分岐点は比較的新しいもので、もう少し上に勢子辻地区があるのでそこまで行って見ることにしました。
(旧十里木道の分岐点がありましたが、現在は通行止になっています。)
何と、その右脇に公園みたいなところがあり、春耕道しるべの表示塔が見え、疲れが一気に吹き飛びました。しかも2基並んでいるようです。(写真中央付近)
①春耕道しるべNo16です。
(右よしわらみち(三り廿一丁) 左てえしゃば(三り廿五丁))
これはどこか別の場所にあったものを移設したような感じもします。
②春耕道しるべNo39です。
(右をうぶちみち 左よしわらみち)
(このようにNo16とNo39が2基並んで建っています)
No16は桑崎にあったNo15の続きで、No39は吉永第二小から今宮方面に上ったところにあったNo38の続きとなり、その間は何も無いと言う事かもしれません。
③今度は国道469号線の新分岐点を富士宮方面(→南富士CC1k)に曲がり300m程下った所にNo45がありました。これは自転車旅行をする人たちのブログにも度々書かれていて、大体の位置は把握していました。
(仁藤春耕道しるべNo45:富士宮方面を見て道路の左側にあります)
(左側面:右大みやみち 左大ぶちみち)
(右側面:左やまみち)
(正面:楷書で下記長文が刻まれています。)
「本道ハ本郡報徳講社ノ開修ニ係ル交通ノ便何ゾ言フヲ俟タンヤ 然ルニ来往ノ繁カラザル岐路ニ迷フ者ナキ能ハズ 因テ茲ニ路導石ヲ建ツト云」
(裏面:春耕さん氏名が彫られています)
「明治三十九年吉永村富士岡下花守 仁藤春耕」
この道しるべは今までのものとはちょっと違った「記念碑」のような感じがします。
(道しるべから県道24号線との分岐点方向を見ています)
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2011年12月11日
今日も続きを探索「春耕道しるべ(5)」
今日は吉永第二小学校周辺から今宮にかけて「春耕道しるべ」を探索して見ました。
①吉永第二小グラウンド横(No31から県道76号線の方に100m程上ったところにNo33がありました。


(右やまみち)
②更に上って行くと県道76号線にぶつかり、その少し手前にNo34がありました。

(これも表示塔が倒れています。)

(県道76号線側から見て 右よしわらみち 左うないがふち くわざき)
③また吉永第二小の方(即ち「よしわらみち」の方向)に戻り、No33→No31と来ました。No31は11月27日の本ブログで紹介済みですが、彫られた内容は、次の通りです。

(右うないがふち いしゐ くわざきみち)
(左十りぎみち いまみや)
④続いてNo30(これも11月27日に紹介済み)でNo31から左方向に行きます。送電線鉄塔の下にあります。

(右十りぎみち 左さくはみち)
⑤ここから今宮方面に斜めに上って行くとNo38がありました。



(右やまみち 左十りぎみち)
⑥更に上って行くとNo37がありました。


(右さくはみち 左ひな ふじをか) 続きを読む
①吉永第二小グラウンド横(No31から県道76号線の方に100m程上ったところにNo33がありました。
(右やまみち)
②更に上って行くと県道76号線にぶつかり、その少し手前にNo34がありました。
(これも表示塔が倒れています。)
(県道76号線側から見て 右よしわらみち 左うないがふち くわざき)
③また吉永第二小の方(即ち「よしわらみち」の方向)に戻り、No33→No31と来ました。No31は11月27日の本ブログで紹介済みですが、彫られた内容は、次の通りです。
(右うないがふち いしゐ くわざきみち)
(左十りぎみち いまみや)
④続いてNo30(これも11月27日に紹介済み)でNo31から左方向に行きます。送電線鉄塔の下にあります。
(右十りぎみち 左さくはみち)
⑤ここから今宮方面に斜めに上って行くとNo38がありました。
(右やまみち 左十りぎみち)
⑥更に上って行くとNo37がありました。
(右さくはみち 左ひな ふじをか) 続きを読む